11月3日は当寺の報恩講でした。
ご法話は勝楽寺のご住職・畠山康勝師。
そのままのあなたをそのまま救ってくださるのが阿弥陀さん。そのまま仏さんに生まれさせてくださるのが阿弥陀さん。
大きな功績を残した人だけ、何かいいことをした人だけを救ってくださるのではない。他人の粗探しばかりしているような私たちをそのまま救ってくださるのが阿弥陀さん。
何で?
だからこそ、そんな私たちだからこそ放っておけない、私がそのまま仏さんにしてやるというのが阿弥陀さん。
なーんだ、じゃあ、わたしたちは何もしなくていいんだ、とついつい思ってしまうのがわたしたち。
師はこんな例えばなしをご紹介くださりました。
今、私たちは入院しています。そこに友人・知人がお見舞いにきてくれました。せっかく来てくれた友人にあなたはどうされますか?お茶の一つも出そうとするんじゃないですか?友人の方はどう言います?「そのまま、そのまま無理せんと」と言うんじゃないですか? 言われたあなたは、じゃあ、と何もしないわけにはいかんでしょう。できる範囲でお茶の一つも出そうするんじゃないですか?
それが、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、報謝のお念仏じゃないですか? と。
そして、親鸞さんのお言葉もご紹介くださりました。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜判に嵐の咲かぬものかは」と。
私たちは明日もある、1年後もあると思って生きていますが、そんなことは分からない無常の命を生きています。
他の人のおかげさまに支えられた命を生きています。
感謝の心をもって、できる範囲で、精一杯生きていきましょう。
そんなご法話でした。
浄土真宗はご聴聞の宗派です。
ご聴聞は、幸せのヒントに出会う場です。
次のご法座もお参りくださいませ。
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