人が本堂にいっぱいになって懇志等もたくさんあげてくださる過去があったのかもしれませんが、それを望むことはできません。生活の糧を他に求めざるを得ない私ら夫婦は教員を続け、両親が寺院活動を退職してから行事ごとを細々と続けてきました。その一つ一つは気が引き締まり自分なりには力を入れてきたつもりです。
しかしながら、力足らずでご門徒さんの熱いご期待に応えられていなかったと思っております。社会の変化と言ってしまえば言い訳でしょう。ご門徒さんの寺をもっと魅力的な場にして欲しい、今のままではもっと積極的にお参りしようという気になれないという思いをひしひしと感じてきました。
私自身、宗祖親鸞さんの教えに出会い身震いするほどの感動を覚えました。しかし、自信教他信の境地に至っていないのが正直なところです。焦りにも似た思いを抱え、お釈迦さんの旧跡を6度訪ね、親鸞さんの跡を比叡山から越後・常陸へと追い、現地の方々とも交流をもったりもしました。また、行信教校で半年学び、本山の中央仏教学院の研究科に4年学びましたが、やはり身についたという実感は持てておりません。そのうちそのうちと思い80歳を超え、今に至っております。
受け継いでいくということ。
私金氏克弥(かなうじかつや)は2022年春、第22代住職を継承。
門徒さんのために門徒によって建立された信光寺。寺の子として生まれたのに寺のことを何も知らない私。
浄土真宗のことを何も知らない私。
幸いに息子の誕生に恵まれて、繋がれてきたこと繋いでいくことの意味を考えます。