前住職釋晃耀の思い

私たちの寺である信光寺は、檀家の数だででいえば
100家にも満たない小寺です。平時のお参りは10人前後。
しかし、ここという時には50人くらいがお参り下さる。
皆の明るい笑顔を見ているのがとても気持ちがいいのです。

人が本堂にいっぱいになって懇志等もたくさんあげてくださる過去があったのかもしれませんが、それを望むことはできません。生活の糧を他に求めざるを得ない私ら夫婦は教員を続け、両親が寺院活動を退職してから行事ごとを細々と続けてきました。その一つ一つは気が引き締まり自分なりには力を入れてきたつもりです。
しかしながら、力足らずでご門徒さんの熱いご期待に応えられていなかったと思っております。社会の変化と言ってしまえば言い訳でしょう。ご門徒さんの寺をもっと魅力的な場にして欲しい、今のままではもっと積極的にお参りしようという気になれないという思いをひしひしと感じてきました。
私自身、宗祖親鸞さんの教えに出会い身震いするほどの感動を覚えました。しかし、自信教他信の境地に至っていないのが正直なところです。焦りにも似た思いを抱え、お釈迦さんの旧跡を6度訪ね、親鸞さんの跡を比叡山から越後・常陸へと追い、現地の方々とも交流をもったりもしました。また、行信教校で半年学び、本山の中央仏教学院の研究科に4年学びましたが、やはり身についたという実感は持てておりません。そのうちそのうちと思い80歳を超え、今に至っております。

受け継いでいくということ。

私金氏克弥(かなうじかつや)は2022年春、第22代住職を継承。
門徒さんのために門徒によって建立された信光寺。寺の子として生まれたのに寺のことを何も知らない私。
浄土真宗のことを何も知らない私。
幸いに息子の誕生に恵まれて、繋がれてきたこと繋いでいくことの意味を考えます。

今を生きているということ。

生まれることは決して当たり前でなく、今生きていることが当たり前でない。
家族に、親族に、友人に、門徒さんに、地域の皆さんに、目に見える方々から目に見えない方々があって生きている。
父母にもそういう方々がいて、祖父母にもそういう方々がいて繋がっている。
過去・現在の無限のお力のおかげで今を生きている。

2500年続くストーリー。

2500年続くストーリーをいつも傍らに置いて、精一杯今を生きよう。
それは決して古くさい暗いストーリーではありません。
数多の先人たちによって引き継がれてきた壮大なストーリーです。
ひとりではないと優しく抱きかかえ、明日へ力強く一歩を踏み出すための背を押してくれるストーリーです。

私も学んでいく場として。

2022年春、父から住職を継承するこの機会にこの場(サイト)を作成します。
寺の子として生まれたのに何も学んでこなかった私。
ここは私がこれから学んでいくなかで、門徒の皆さんにお伝えしたいなと思える幸せのヒントが見つかれば、書き足していく発展型のサイトです。間違っていると気付けばどんどん修正していく柔軟型のサイトです。

門徒さんのコミュニティー。

そして、門徒の皆さんが寺の法要や行事に参加しやすくなるための広場です。
たまにのぞいてみてください。
仏さんの教えっていいな、親鸞さんの思いってステキだな、ちょっとだけ温かい気持ちになって、みなさんの生活がちょっとだけ心豊かになってくれたら幸いです。